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部屋とYシャツとわらG

部屋とYシャツとわらG

2007年 秋~年末 その2

2007/11/17
プラネタリウム 「ひとり言・・?(65534)」 [ 最近のことの日記 ]
 昨日、保険屋さんへの用事で、南のH市に行っての帰り、ちょうど数年前Sと行ったことのある『プラネタリウムのある科学館』のそばを通りかかり、時間もあるので寄ってみた。

 入場する時に、どやどやと施設のお兄さんお姉さんが出てきて「真っ暗になったら寝てしまいました!」と何度も語るお兄さん(たぶん自閉症)のことばに思わず笑ってしまった。

 そして館内に入ると……どうも私一人、貸し切り状態だった。一日2回のプラネタリウムプラン。時間が来たので入場したが、そのままお客は増えず、100人以上入る席にぽつんと一人。

 少し緊張。なぜなら、前半の星を投影しての説明は、マイクを通して「生」で行われているようなのだ。説明用の矢印を動かしながら、「東の空をご覧ください」なんて言われると、たぶん説明者がいると思われる操作室からも見えるように、「大きく」首を左に動かしたり、「へえー」とかちょっと大きめにつぶやいてみたり、こちらも気を遣って大変だ。

 夏の大三角とか、秋の五角形とか、デネブは白鳥座のでんぶなのだとか、「へえー」と思い覚えておこうと思ったことはたくさんあったのだが、「私、暗くなるとやはりダメです…。」 当初の予定通り星空を見ながら、すやすやと眠りについた……。

 時々目を覚ましては、首を振ったり、「へえー」とかつぶやいた(笑)が、なかなか気持ちの良い短時間睡眠であった。

 その後、プラネタリウムとアニメ番組が合体したような作品が上映され、それも思ったより星空が見られて良かった。

 そうこうしているうちに全部で1時間近いメニューが終了。

 入場料500円だったので、電気代にもならなくてすみません…。

 平日夕方の空いているプラネタリウム…おすすめ?です。

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2007/11/21
他学年の階 「自分らしい生き方・お仕事(137929)」 [ 最近のことの日記 ]
 本日はこんな早い時刻に更新中。S中がテストで平日の休暇!

 しかし、本日はSの付き添いの方がいない日で、先日からの脱走癖の心配もあり、私が小学校に行って付き添う予定であった。「ああ、またハードな一日…」と思っていたら、朝からSがぐったり。抵抗され体温は途中までしか測れなかった(笑)が、それでも37度は熱があり、クラスでインフルエンザも出ているということなので大事をとってお休みすることに。かくして、今日はゴロゴロできることとなった。

 I中の方は、3年生がテストで1・2年はまだ後からなので、テスト作成などできて助かった。

 学年別のテストで思い出したが、過日のI中でのこと、早めにいつもの2年生の授業に行くと、その階をやたらと3年生がうろうろしている。ちなみに多くの中学校では、基本、「他学年の階をうろうろしてはいけない」のである。これは、下の学年をしめたり、カンパを回したり…といった生活指導上の理由から来るモノだが、もちろん兄弟姉妹での用事とか部活動の連絡とか用事がある時は許されているので、ムードを見て判断することになるが、その日はやたらと3年生が我が物顔で廊下を歩いていた。

 私がその階に行くと、まず1組の教室から女子が5~6人廊下に走り出てきた。その先に進むと2組の前に男子数人が輪になってなにやら雑談。私の姿に気づくと「こんにちは」とあいさつなどするのだが、とってつけたようで、何か疑いを抱かせる…。

 たいしたことがなければそのまま流すのだが、やたらと廊下に3年がいるし、さらにさっきの男子連中が2組の中にどやどやと入っていったりしたので、「こりゃ大変!」とばかりに、一声注意してから3年の生活指導の先生を呼びに行こうと思い、私はその教室に入ろうとした!

 目の前に広がる光景は、突然の3年生の入室に驚く2年2組…ではなくて、3年生だらけ!

 頭上のクラス表示には……なんと「3年2組」の文字が。

 3階のつもりが、その階はまだ2階だったらしく、他学年の階をうろうろしていたのは私の方であった(笑)。どうりで3年生の数が尋常でなく、我が物顔で振る舞っているはずであった。

 私は、誰かを捜しているような顔つきをして、何も語らずにUターンして階段に戻っていくのであった(爆)。

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2007/11/25
二つの道 「自分らしい生き方・お仕事(137929)」 [ 最近のことの日記 ]
 この3連休はなんだかあまり自分の時間が満喫できないまま終了。「裸の逃亡」ののち、一度は風邪を治したSであったが、クラス内の風邪環境には勝てずに水曜から欠席。木曜は行けそうだけど大事をとって休むと金曜日に発熱。でもまあまあ元気でぐずることも少なかった。

 ぐったりしているとかえって安心(笑)なのだが、意外と元気なので、天気がいいとまた外出したがる(脱走して)危険もあるので手厚い警備が必要。なんだかお茶会のイベントとかで妻に丸一日外出されることが先にわかっていたため、私は留守番のため、毎年恒例の職員バレー大会は出場できず、さらに毎年恒例の(といっても行ってない年も多いけど) 平和を考えるライブイベント
にも行けず…。

 でも、この日は朝から自分も風邪をひいたらしくぐったりしてきたので、結果的には「参加できない」と前もってなっていて正解だったようだ。

 で、家ではSとゴロゴロしながら、Sが下の階で義父母が面倒見ている時などを利用して、S中のテストの採点や得点入力やその他の成績処理をして、さらにバンド関係の音取りの続きや個人練習や音づくりなどをして、翌日は、スタッドレスタイヤの付け替えや、2階の部屋のカギの付け替え(Sのイタズラ防止のため)や、今年一年分の自分が立て替えたお金の月別計算をして、今日は掃除や買い物をしてSを早めに風呂に入れて…と、特に楽しいことは何もないのだが(笑)、やらなければ行けないことは粛々と終わったのであった。

 初日に外出して、風邪をこじらせて、さらにライブに行って酒飲んで悪化させて、残りの二日間で寝込んで…というもう一つのシナリオを想像すると、Sのおかげといえないこともないなと思うのであった。でもこっちの無理して刹那に生きる方がもともとは自分らしいはずだが…大人だからもうしょうがないか。

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2007/12/01
元・劇団四季 「自分らしい生き方・お仕事(137929)」 [ 1年以上前をふりかえっての日記 ]
 私の知り合いにはいろいろと変わった経歴や珍しい職をお持ちの方が多いのだが、その多くの変わった方々は音楽関係(ロック系)の時の知り合いである。

 なるほどといえばそうだし、当時の生活を思い出せばまさか…という感もある方々は、現在、新聞記者だったり、テレビ局のディレクターだったり、建築デザイナーだったり、自然保護関係の仕事だったり、清掃アルバイトだったり、インテリアデザイナーだったり、ライブハウス店長だったり、作曲家(兼業)だったり、車いすテニスプレイヤーだったり、ケアハウスマネージャーだったり…おかげで学校関係以外の仕事のこととかを聞く機会があってとても貴重である。ただ、普通の大手企業の会社員…という生活が一番聞けなかったりもするのだが…。

 で、自分が教師の職をやっていて知り合った方々は、その時に教職にあるわけだから、そうそう他の変わった世界に首を突っ込んでいる方は少ないのであるが、ある意味一番珍しい方が、この時に一人いらっしゃるのだ。

 Y中学校で教諭の時に同じ学年で担任を持っていた先生。確かに、学年集会やっている時に後方で体をほぐしていたり、回転し始めたり(笑)、ただものではない感じはあったり、バレエをやっているという話は聞いていたし、大学では落語研究会だったなんて話は知っていたのだが、当時もその後も、とてもまじめな感じの教務主任であった。

 そして、都道府県教委の研究員にも出ていったり、主幹となったり、もう誰の目にも「そのうち、指導主事・教頭(副校長)・校長…なのか」と思っていた時にその先生は退職した。

 なんと、その時、勢力拡大?のために大規模なオーディションをおこなった劇団四季に入団することが決まったのだ!

 当時、同じ職場の方々はその判断にびっくりしたということだったのだが、その話題の時に、「そりゃあ、劇団四季通ったのなら普通そっちに行くに決まってるでしょう!」という私の意見もまわりにびっくりされたので、みんなにとってはやはりただごとではないできごとだったらしい。

 その中条きよし似のすてきなおじさまは、その後、劇団四季でも数々の舞台を踏み、現在は退団して、フリーで音楽関係・演劇関係の指導・講演などを行っている。

 学校教育に精通していて、一流の芸を持っていて、大人の品格がある…こんな方もなかなかいないと思うので、フリーで動き始めたばかりの今がチャンス!ということでご紹介いたします。

 日本全国対応かどうかまではお聞きしてないけど、どんな人なのか興味があるだけでもご覧ください! 

高橋辰也ホームページへジャンプ

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2007/12/04
第1次産業 その1 「自分らしい生き方・お仕事(137929)」 [ 最近のことの日記 ]
 中学校の地理の中で、農業問題は大きく取り上げてあるが、今の教科書ではほとんど記述が皆無に近いのが林業と漁業(水産業)
である。

 我が家が校区でもあるI中学校地区では、室町時代に炭焼き小屋で焼かれた木炭をふもとの町で販売したのが定期市の始まりで、商業とともに林業が大きく発展して、明治の頃には文化も栄え、自由民権運動も盛り上がり、つい私議憲法まで作っちゃって……で、昭和になって急速な都市化にはついて行けず、戦後はさびれていった町なのである。

 そういう背景もあるから、『林業の問題点にはどんなことがあるか?』という問いへの自由意見は、さすがに土地柄が出る。

 もちろん、普通に、世界的な規模で森林伐採などによる熱帯雨林の消失 → 二酸化炭素の排出量増加 → 地球温暖化 というグローバルな知識もあるのだが、身のまわりの現実は、『森林伐採=悪』ではないのである。

 結構、中途半端な環境教育の影響で、そう思ってしまうのが普通な今時分、今日出た意見の中には、『切るために植えた木なのに切ることができない!』というこの町の林業の現実を表す意見がいくつもあったのだ。

 現在のスギの山は、時期をずらして計画的に切っていくために植えたもの。ところが、安い輸入材ばかりが使われるようになり、単価の高い日本の木は使われない。その結果、林業従事者の生活が成り立たなくなったり、スギの手入れ(特に枝打ち)が行われなくなった。で、スギの花粉もまた増えた。日本向けの輸出のために熱帯では木が切られすぎて、先の世界的な問題に…と考えていくと、たとえ高くついても切るべきものを計画的に切れると良いのだろうと思うが…。

 都知事が最近花粉症になった東京都(大笑い)では、やっと都の事業として森林の手入れにお金を出すということが始まるそうなのだが、本来なら、国内で自然のサイクルでできるはずのことが、経済優先で行われずに他の国や地球全体に迷惑をかける…とても不思議な、でもこの国らしいことである。

 ちなみに、普通の社会科教師よりこのあたりの事情に詳しいのは、義父が林業で全然収入がなく(笑)、今の2世帯住宅も山(1億)か木全部(5千万)を売って立てる予定だったのに、まったく売れず、結局私たち夫婦がローンを払っている(泣)という現実があるからなのであった。

 自分の所の山の手入れをしていたのはえらいけどそれは無報酬。誰かの山の仕事がある時だけ手伝って手当てが出る…そういう生活だったらしい。まあ、ひとこと言わせてもらえるなら、結婚直前に勝手に立てずに、山が売れてから立てろよ…。

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2007/12/05
第1次産業 追伸 「自分らしい生き方・お仕事(137929)」 [ 最近のことの日記 ]
 昨日の日記、「第1次産業 その1」を問題提議のため(笑)にミクシィの方にものせといたら、まんまと元教え子で地理とか環境関係の学問をやっている青年がコメントをくれたので、こっちに転載します。なお本人からの許可は事後承諾…です。

 ぜひ、自然保護関係のお仕事をしているミュージシャン上がりの(ていうか現役か)T君、この記事に気がついたらコメントしてやってください。


 引用始め

今の僕の指導教授が林学者なので、たまに話しは聞いています。

とりあえず、日本は公共事業の矛先を道路やダムから、環境や教育や福祉へと変更せねばなりませんね。
当面としては、林業を公共事業化することが起爆剤になるかと。
公共事業は無駄な展開と不透明な組織がなければ、市場主義を調整する数少ない選択肢だと思うので。

日本のような山林国家は、山が荒れれば都市も被害を受けます。
だから、枝打ちや間伐や植林を公共事業でまかない、間伐材はバイオエタノールとか地域産業の材料にしていくのが望ましいと思います。
山林管理は大変な労働力が必要なため、雇用の安定という公共事業本来の意味も取り戻せますし、もともとの林業者も助かります。

今の日本は国内の木材資源を使いたいのに、自由経済の影響で使えない。そのため、フィリピンのラワン材は大打撃を受け、今はマレーシアが打撃を受けています。熱帯林の消失に日本が絡んでいるのは間違いないので、伝統的な先住民族に恨まれてもしょうがないです。
なのに、国内では人件費が高いために杉やヒノキが放置されて、山が荒れ、花粉症や洪水、土砂崩れの被害で日本中が苦しんでいます。

第一次産業を見つめなおさないと日本はヤバイと思います。

H中学時代に社会マニアだった僕の現状の見解です。
何か偉そうにすみません……。添削してください……ww

 引用終わり

 この意見、専門家のコメントということにして授業で使おうと思う。

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2007/12/05
第1次産業 その2 「自分らしい生き方・お仕事(137929)」 [ 最近のことの日記 ]
 授業の中で『漁業の問題点』を自由意見で言わせると、今度はたいした意見が出ない(笑)。I中学校は山の学校だからしかたがないのだが、このあたりは「漁業とともに発展した商業の町下関(過去の栄光)」出身なので、私はまあまあ得意である。

 授業的には、・沿岸漁業の衰退 ・遠洋漁業・排他的経済水域(200カイリ)の設定による打撃 ・養殖漁業(余ったえさによる海の汚染) ・育てる漁業(栽培漁業) ・輸入の激増 とかそのあたりが流れである(もちろん大まかな流れであり、今でも沿岸漁業をがんばっているところはある) 。

 灰谷健次郎氏の作品を最近読み直していたこともあり、「底引き網を引いてもほとんど9割はゴミばかりで、それを持ち帰ると船が沈むからまた海に捨てて残ったほんの少しの魚を船に残す。その中に箱ふぐやウナギなどの高級魚がいなければ、へたすれば赤字である…。」 そんな話を自分が見たかのように(笑)話すのだが、本当に悲しい現実だ。

 興味深かったのは、『沿岸漁業で魚が捕れなくなった理由』を聞いた時に、「乱獲のため」という意見は出ても、普通は出るであろうあの意見が、どうしても出てこないのだ。

 世代によるものなのか、土地によるものなのか…。

 出なかったことばは、「海が汚れたから」である。

 これは意外だった。私たちの世代だと、目の前でだんだん汚れていく海を知っていたり、今よりもひどい汚れの海の話(東京湾のヘドロとか)も知っているし、工場排水による公害病のニュースもあった。でも、それなりに美しい海のことや、そこで日帰りの沿岸漁業で生計を立てていた漁師のみなさんや漁師町の暮らしを少しは知っていた。

 公害垂れ流しが許されなくなった今、東京湾とかはあの頃よりきれいなのだろうけど、『全国のどこでもかしこでもいくらでも魚が捕れた時代があった』ことに、こどもたちはもう思いも寄らないのかもしれないなあと思うのであった。

 追伸:「下関では縁起を担いで『フグ』のことを『フク』と呼んでいる」という結構有名な一説があるのだが、それは観光関係の人たちががんばって流しているだけで、漁業関係者も一般市民もみんな普通に『フグ』と呼んでいます。以前、友人の結婚式で東京から来た司会者が「新郎の出身地下関ではフグのことをフクと呼んでいます」と言った瞬間、会場の半分(新郎側)から「言わん、言わん」の大合唱であった。(笑)

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2007/12/16
ケンシロウに捧ぐ 「自分らしい生き方・お仕事(137930)」 [ 1年以上前をふりかえっての日記 ]
 講師をしている地元のI中学校では、特別支援学級で介助員をしていない(やっていたのは他校)のだが、時々遊びに行っている。主に3年生に向けてのひとこと文集みたいなのがあったので、せっかく書いたその原稿をここに引用してみた。

 引用始

 もう2年前になるだろうか、昼休みに○組に行った時に謎の戦いに巻き込まれた。当時の介助員○○先生が3年生と戦い、それに触発された1年生男子が私に戦いを挑んできたのだ。相手と両手を合わせながら押し合い、バランスをくずして足が動いた方が負け…というルールの遊びなのだが、彼に余裕で勝ちながら、時にわざと負けて、勝ち星が接近するようにして盛り上げていた。

 2年生になると「ケンシロウ」「ラオウ」と呼び合う本気のライバルとなった。校内ですれ違う時に「ラオウ!」と呼び止められることはとても恥ずかしかった…が、小さな声で「ケンシロウ、後で勝負だ」とささやいた。

 そして、今年度、すっかり強くなった彼は、私に余裕で勝ちながら、○勝△敗という戦いがいつも少しの差になるように調節しているようだ…。見事な成長を遂げたケンシロウも含め、3年生の立派な成長には目を見張るばかりです!

 引用終

 何やってんだか、俺(笑)。

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2007/12/31
禍福はあざなえる縄のごとし 「自分らしい生き方・お仕事(140594)」 [ 最近のことの日記 ]
 昨年・一昨年と大晦日にちゃんとブログを書いており、その内容は「今年はのんびりできた」 「来年はもう少しがんばろうかな」というものであった。

 今年一年を振り返った時に、あまりそういう感じがない。たぶん今年度はS中の出現により、怒ったりあきれたり、感情の起伏が激しかったので、「働いたー」とか「つかれたー」という思いが強かったのかもしれない。

 成果はそう上がっていないのだが(笑)、働いたような気になった今年度、特に3月までは楽しく介助員をやっていたU中学校の仕事に曜日の都合で行けなくなり、その代わりにつらいS中での講師の仕事が週3日もあったことがいろいろな面でいい勉強になった。

 大変な学校は未だに大変だぞ…ということを思い出し(笑)、いざとなったらそういうところでも一応通用するぞという自分を思い出し、そういうところで担任をしている先生たちは大変だなあというのがはたから見てるとよくわかり、それでも大人がいい加減にやっていると学校は良くならないなあということを目の当たりにし、もしここに自分が教諭として担任として入ったらやっぱりつぶれるだろうなあ…とも思うのであった。

 こちらではなんと3人も休職中の先生がいて(たぶん心の方かな)、私もその代わりの一人なのだが、教諭の代わりが講師では授業は代われても、学年の仕事では代わりになれない(行政によっては常勤講師という産休代替みたいなシステムの地区もあり代わって担任を持つこともあるようだが)ので、それだけでも人手不足。人がいないところを持ってそうなるから、さらに学年の教諭の負担は増えるし、生徒に目をやる時間はなくなるし、それでまた次の人が倒れる…という悪循環が生まれる。

 一方でうまく回転しているI中では、中心になっていいムードでやっている教諭たちがいて、いろいろなことが好転するから、今まで教育に冷めていたようなベテランもだんだん巻き込まれていき、なんだか生徒ともいい感じになってくる…という不思議な様子を見た。

 厳しい言い方をすれば、「やっぱり大人の影響が…」とも言えるし、でも大変な学校を助けるようなシステムがないことがそもそもこの違いを生んでいるような気もする。教員の数をただ増やして解決するとは思わないが少なくともある程度の余裕はないとつらいなと思う。

 今年の私は2校で同じ時期に同じ学年に授業をしていたのだが、いろいろな面でやり方もちがっているし、生徒から見た印象も違うだろうと思う。それは「揺るぎない自分の授業が完成していない」(笑)ことかもしれないが、「柔軟性があって、相手に一番あったことを選択している」のかもしれない。もしかして、自分があまり悩まずにこの仕事をできるのはそこ(いい意味でも悪い意味でもいい加減)なのかなあとも思う。

 ところで、マニュアルは必要だけどこだわりすぎても…というのが昨日のレコード大賞の司会。

 EびちゃんとMえちゃん(匿名になってないか)による違う意味でハラハラドキドキ緊張のある番組だったが、圧巻は2カ所。

 C-UTEという最優秀新人賞をもらったグループは労働基準法の関係で、賞の発表・表彰時にはステージにいられなかった。で、代わりに壇上にはプロデューサーのつんく氏が。たぶん、どのアーティストが来ても聞く予定のことばの載った台本があったのだろう。そこでEびちゃんは聞いた。

 「この気持ちを誰に伝えたいですか?」

 この人、賞もらった本人じゃないし(笑)、さすがに返事に困っていたようだった。


 そしてレコード大賞はコブクロ! 結構感動。そんな感動の場面でMちゃあきが小渕くんに聞く。「お母さんになんて伝えたいですか?(ちょっと違う表現だったかもしれないがこんな質問)」

 思わず言葉に詰まりながら小渕君がやっとしゃべろうとしたその時…びっくりするほど明るい声でEびちゃんが、「さあ、それでは歌ってください!」

 もしかしたら時間がなくなりそうで、ディレクターが必死でマキのサインを出していたかもしれないけれど、今一番大事なのは何…って見えないと生放送の司会はつらいなあ…と思ったのであった。たぶん、曲の最後がCMで切れても文句は出るだろうけど、あの時小渕君が言おうとしたひとこと…聞きたかったなあ(笑)。

 今年一年、当初の自閉症の啓蒙という役割を終えて?ほとんど私的な記録と可したブログにおつきあいいただいた方々どうもありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。(たぶん)



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